世の中の理不尽さに苦しむ全ての者にこの物語を捧げる…
この物語を、どうか悪いものと思わないでほしい…広く大きな心で…頭を空にしてよんでほしい…

〜プロローグ〜

えっ…何だって? もう一度言ってくれよ。良く聞こえなかったからさ……はぁ? 相変わらず人の話を良く聞かない奴だって? 余計なお世話だよ……んで? 何? えっ? ……勘弁してくれよ…またその話かよ、だから何度も言ってるだろ。何度そんな話をしたって何の進展も無いんだ。結局、いつも最終的にはただの言い合いになるんじゃないか。何? それはお前が自分の非を認めようとしないからだろって? アンタこそ…俺の話を聞こうともせずに、俺の事を理解しようとしないからだろ? 人の事を少しも理解しようともしないくせに、自分の言う事だけは理解しろだなんて虫が良すぎるってモンだぜ。えっ? ロクに何もしようともしないくせに? お前なんか何の苦労もしてない? ……その言葉は心外だな、俺だってやる事くらいはやってるさ……でも…でも…しょうがないんだよ…俺はこういう生き方しか出来ないんだよ……ほらね…俺がこういう事言うとすぐに「やればできる」だ…「やる」って前提がもう苦手な奴だっているんだよ…一回俺の立場で考えてみろよ…はぁ? だからお前は駄目なんだって? ……もうやめようよ…こんな話…ほら…こんな話してるとまた自分が嫌いになるじゃないか…


〜第一章〜


「行ってきまーす」
空調の効いた涼しい家の中に名残を惜しみつつ、中学三年生のギコは今日もいつも通り学校に行くために、少し重い家の扉ゆっくりと開けた。その瞬間に外から津波のごとく流れ込んでくる熱気と太陽の強い光に、ギコは思わず顔をしかめる。まだ六月なのに、ものすごい暑さだ。なんで近頃このような異常気象が続いているのだろうか…ギコはそんな考えても埒の明かないような事を考えつつ、溜息をついてドアの向こう側に一歩踏み出した。ギコの後ろの方でドアの閉まる音が聞こえたかと思うと、今度は外の世界の音が自分の出番を待ってましたとばかりに合唱を始める。どこからか聞こえる車のエンジン音、向かいの家に植えてある大きな木の葉のざわめきの音、微かに聞こえた気がした蝉の声…それらが全て混ざり合って独特の音楽を奏でる。強い太陽の光さえもが何かのメロディを発しているようだった。これらの音は聞く者によっては心地よい音楽のように聞こえるのだろうが、ギコにとっては不快な騒音にしか聞こえなかった。ギコはとりあえず学校までの道を歩く、自分の足音が周りの音と同化して更にうるさくならないようにギコはなるべく足音を殺して歩いた。周りのメロディを打ち破るかのようにギコはまっすぐに歩く。ギコはこの世の中は基本的に不快な物だと、いつも感じていた。何千何万といる人の中で、自分だけが違う…そう感じていたからだ。それは、何もギコが他の人より頭が良くて飛びぬけた才能を持っていると言うような事では無い、むしろそれは逆で、この世の中はギコより優れているものばかりで、ギコは周りについていけない…つまりギコは自分が周りの人間と比べて格段に劣っていると感じているのだった。それはなぜか、答えは上げればキリがなかった。勉強が極端に出来ないとか、スポーツが出来ないとか…そんな事をただ漫然と置物のように並べ立てて説明は出来ない、なぜならギコの“できない事”と言うのはあまりにも範囲が広すぎて、苦手な事を全て説明してたらそれこそ何時間かかるか分からないからだ。でも一つだけギコの欠点を明確、かつスピーディに言うことの出来る言葉があった。それは…「極度の集中力の欠如」というヤツだった。そう、ギコは極端に集中力が無いのだ。驚くほどに…「集中力が無い」と言うのは、簡単に説明するならば、ギコは例えば10分間机に座っている事さえも非常に苦痛に感じてしまうのだ。つまりそれだと例えば勉強をする前に、その前提がなっていないと言う事になる。これがギコの心にバリアーを張っている物なのである。この集中力の無さが原因で、ギコは成績が振るわないというだけでなく、家族や教師との関係も上手くいっていなかった。なぜならみんなギコの事を理解してくれないのである。例えばギコは集中力が続かない為に勉強ができず、成績が悪い。その事についてギコは周りの者に(おもに教師や親)「俺は勉強ができないんだよ」と言うが、その言葉に対して周りの者は烈火のごとく怒り出し、あれやこれやと言ってくる。ギコの言葉を「それは言い訳だ」と跳ね除けて聞きもせずに…ただ一方的に「おまえはやればできる」と言ってくる。ギコはずっと考えていた。「やればできる」という言葉はなんと無責任な言葉だと…なぜならば、できないことや苦手な事に対して具体的な解決方法も述べずに、ただ並べ立てた記号のように皆それを口にするのだ。言う方は簡単かもしれないが、言われる方はたまったものではない。できない事だってあるかも知れないのに、何の根拠か何の自信か「できる」と言うのだ。ギコはこのように、感情のこもらない“応援”の言葉を幾千も浴びせかけられてきたのだった。それはまるで、氷のような冷たい言葉だった。意味の無い文字の並びのように「ガンバレ」「ヤレバデキル」と…その言葉は心を冷やし、生気を失わせた。集中力が続かず、周りについていけないのは仕方の無い事なのに…世間がそれを許さないから、ギコはだんだんと自分が世界で一番劣っているような、そんな疑心暗鬼の闇の幻想に囚われるようになったのであった。そもそも、ギコの集中力の欠如は本当に仕方の無い事なのだ。なぜならばギコは、小さいながらも障害があるからなのだ。障害と言っても、本当に小さいために目にはなかなか見えてこないし、人間関係などの日常生活に支障をきたすような物では無いのだが…
ギコの障害の名はADHDつまり注意欠陥・多動性障害の事である。発達障害の一つであり、集中力が無かったり、無駄な行動が多かったり、不注意な行動をしたりしてしまう。(ADHDは実際にある障害であり現在、児童福祉の観点から2005年より発達障害者支援法も成立している)ただギコの場合、その障害が小さい事で余計に周りから理解されないのである。周りから見て普通に見えてしまうのだ。そう、普通なのにただ怠けている…そういうふうに周りからは思われてしまうのであった。ギコは幼い頃に障害が有るのではないかと思われ、精神科に通院した事があり、そこで医師の診断の結果、障害が正確に認められたのである。ただ、ギコが年齢が大きくなって行くにつれ、障害も目立たなくなりギコの障害はまだ僅かとは言え、有ると言うのに、目立たなくなったせいで無くなったようにされてしまったのである。こう言うと、ギコがまるで障害を持つ事を望んでいるかのように聞こえなくも無いが、実際は断じてそんな事は無いこの障害さえなければ、ギコは普通になれるのだから…ただギコは周りに自分のハンデを分かってもらえない、理解してもらえない事がとにかく辛かったのだ。だからギコはこの世の中は嫌いだった。ギコから見ればこの世の中は、人の存在価値を学歴だけで決める…そんな灰色に濁り、湾曲した醜い吐き気のする世界だった。自分はこの世の中で生きて行けないのではないかと何度も思った。誰かに縋れるならすぐにでも縋り付きたかった。でも所詮この世には、飾りだけの人が何千何万居るだけで、協力し助け合おうなどという奴は一人も居ないのだ。この世の者は所詮は無償では動かないのだ。結局、人は何かをやる時いつも一人…孤独なものなのだ。
「おはよーう!」
突然やたらと元気な声が聞こえたかと思うと、ギコの肩に軽く手が置かれる。クラスメイトのモララーだった。モララーとギコは友達だ。なぜかと言えば、ギコの数少ない理解者だからだ。この世は広い物で、中には誰も理解してくれないギコの集中力の無さを理解してくれて、悩みを聞いてくれたりしてくれるような変わり者も居るのだった。それがまさにモララーであった。まぁ言ってみればモララーもギコと同じように勉強が続かなくて成績も悪いギコと同じようなタイプの奴だからなのだが…
モララーは障害が有るのかどうなのかは今ひとつギコには分かってないのだが、有るにしろ無いにしろ、彼モララーはギコと同じように「勉強ができない」と、はっきり言う奴だ。きっと何か彼なりの理由があるのであろう。そう…人には全て“理由”があるとギコは思っていた。人が何か出来ないのには、必ずちゃんとした“理由”があるのだ。例えそれが口では説明できないような複雑な事でも、“理由”は確かに存在するのだ。モララーはその点をよく理解しているのだろう。
「どうした? 元気ねぇな? さてはまた親とモメたのか?」
モララーは何が面白いのかヘラヘラしながらギコに聞いてくる。そんなモララーに対してギコは軽く「ああ、図星だよ」と返す。その通り、ギコは昨日親と学校の成績の事でかなりの言い合いになった。言い合いの内容は、いつもの如くである。それはつまり、「俺は勉強をやろうとしてもなかなか出来ないんだよ」とギコが言い、それに対し親が「それは言い訳だ。やろうとしないだけだろお前は! やればできる」と言い、その後はできる出来ないの水掛け論になるという…まぁいつものパターンであった。
「まぁ気にすんなよ、いつもの事なんだろ?」
モララーはそう言って二カッと笑った。
「ああ…そんなに気にしてないから心配ご無用だよ」
ギコは目を閉じて軽く笑う。
「そうそう、気にしない気にしない! 俺もお前と同じなんだから、仲間同士で愚痴言い合って気分を晴れやかにすりゃいいのさ、人生前向きにいこうぜ!」
モララーはとにかく明るい、馬鹿みたいに前向きなのだ。自分がどんな状況に陥っても気分さえ落とさなければどうにかなると思ってるキング・オブ・ポジティブ思考の持ち主なのである。
「そんなことよりさ、お前昨日の『Nステージ』見たか? 俺の好きな『G・S・P』が出たんだぜ!」
いつの間にか話は昨日見たテレビ番組の話になる。ちなみにモララーが言っている『Nステージ』と言うのは毎週水曜にやっている歌番組の事で『G・S・P』は、モララーの好きな四人編成のバンドの事である。
「ああ、ちょうど昨日のあの時間に親と大喧嘩してたから見てねぇな」
ギコは昨日の夜、親と喧嘩してた所為で、いつも見ているテレビ番組も見ていなかったのだった。
「え〜!? マジかよ? よかったぞ〜なんたってあんまりテレビに出ないからな、気合入ってたみたいでさぁ…最近出した新曲やったんだけどこれがまた良くってさぁ〜」
モララーはそのまま『G・S・P』の話を始める。モララーはこのバンドの話をし出すと止まらないのだ。よっぽどこのバンドが好きらしく、今日も今日で、モララーは昨日の『Nステージ』でボーカルの歌い方がいつもと違っていたとか、ギターの音が良かったとか津波のごとく話し始めた。ギコはもうそんなモララーには慣れたもので、適当に話を聞いて、適当にあいづちを打っておいた。

そうこうしている内に、ギコたちの通っている中学が見えてきた。たくさんの生徒がガヤガヤと校門に入っていく、夏服のカッターシャツの男子と、白い夏用のセーラー服の女子がひとかたまりの様になって校門になだれ込んでいくのを見て、遅刻したわけでもないのにギコは自然と駆け足になってしまう。
「ま…待てよギコ! 走るなよ…この辺だろ? いつもアイツが居るのはさ…」
モララーが唐突に言ったその言葉に、ギコは思わず足を止めた。そう…いつもこの辺に待っているはずなのだ。それが今日はなぜか居ない…まだ来てないのだろうか…それとも先に行ってしまったのだろうか…
「アイツがここにいない時は、来るまでここで待ってないとアイツすぐ怒るだろ? いちいち気を使うよなぁ…」
モララーはそう言って溜息をつく
「まぁいいじゃねぇか、いつもは先に来てるんだし」
「でもなぁ…何か俺、苦手なんだよアイツ…暴力的というか自己中と言うか…」
モララーがそこまで言った時、ゴツン! と大きな音が響き渡った。
「いてぇぇぇ〜!!」
モララーは頭を抑えて座り込む、噂をすれば何とやらだ。ギコの数少ない理解者のもう一人がやってきたのだ。そして挨拶代わりにモララーに鋭いゲンコツをおみまいしたのであった。
「テメェ〜…アタシガ聞イテ無イトデモ思ッタノカヨ!!」
耳にはピアスを付け、おまけにミニスカートという校則違反丸出しの女の子がそう言ってモララーの頭を更に叩く、彼女の名はつーと言い、彼女もまたギコの事を理解してくれる友達であった。彼女は元々転校生で、一年の途中からギコたちの学校へ来たのである。ギコとモララーそしてつーは、同じような考え方の持ち主なため、いつもつるんでいた。
「ご…ごめんなさい! 許して!」
モララーが頭を抑えて逃げ回る。
「ヤカマシイ! オ前ニハ少シオ仕置キガ必要ダ!!」
そのモララーをつーが追い回している。いつも通りの光景だ。つーは少し乱暴者だが、ちゃんと女の子らしい一面もある事をギコは知っている。いつだったか忘れたが、ギコが教室に忘れ物をしたので取りに行こうと教室に戻った時に、つーが教室の花瓶の水を替えてやっているのを見たのだ。ギコは驚いた。不良のような感じのつーがそんな事をしているなんて…と思ったのだった。まぁその後、ギコがつーの様子を見てたことがつーにバレて、「イイナ! コノ事誰カニ話シタラ、マジデ叩キ殺スゾ!」
と、いつものような感じに戻って、脅された訳なのだが…しかし、彼女は少し照れていただけなのだろうとギコは思った。つーは本当はとても優しいのだ。ギコの事を理解してくれたのも、単にギコと同じタイプと言うだけで無く、他でもない彼女の優しさがあったからなのだろう。
「うわああ〜 許してくれ〜」
「誰ガ許スカ! マテッ!!」
二人は追いかけっこをしながら校舎の中に入っていく、ギコは慌てて二人の後を追いかけた。しかし、追いかけっこをしている二人は速く、そう簡単に追いつけるものでは無い。ギコは下駄箱で上履きに素早く履き替えると、クリーム色をした廊下を走りぬけ、階段を2段飛ばしで駆け抜けた。ギコ達の教室がある三階へ付くと、教室に入ろうとしているモララーを見つけた。なにやらうなだれているようだった。
「モララー! つーはどうした? 振り切れたのか?」
ギコは急いで来たため、少し息を切らせながらそう言う
「いや…つーはもう教室の中だよ…逃げ切れ無かったよ…」
そう言って、モララーはギコのほうを振り向いた。そしてギコがモララーの顔を見た瞬間…ギコは思わず吹き出してしまった。
「お…おまえ……どうしたんだよその顔…クッ…ハハハハハ!」
たまらずギコは腹を抱えて笑い出した。それもそのはずである、モララーの顔は見事なまでに落書きされていたのだから…額には「肉」と書いてあり、頬には渦巻きマーク、目の周りはパンダよろしく、黒く塗られていた。
「やられたんだよ…あのバカ女に…なにもここまで派手に落書きする事ないじゃん…これじゃ教室入れないよぉぉ…」
モララーは再び力なくうなだれる。ギコはそんなモララーを見て、「つーを怒らしたら絶対に駄目だな」と、心の中で強く思うのだった。
「俺…顔洗ってくるわ…」
モララーは幽霊のように、ゆらゆらと立ち上がる。
「ああ、行って来い…あと十分でホームルームだから急げよ」
ギコはそう言ってモララーを見送ると、教室に入る。教室はいつものように騒がしかった。がやがやとクラスメートがひしめいている中で、窓の傍にいたつーがギコに声をかけてきた。
「ヨウ! アノ馬鹿ハドウシタ? アタシガ顔ニ芸術的ナ絵ヲ書イテヤッタンダケドナ」
そう言ってつーは楽しそうに笑う。
「アイツは顔洗いに行くってよ、お前少しやりすぎだったんじゃねぇか?」
ギコは苦笑しながらそう言う
「ナーニ、アイツニハイイ薬ダヨ」
つーはそう言うと窓の外を見た。つられてギコも外を見る。夏も間近に迫ってきている六月の空はどこまでも青く、清々しかった。暑い日差しの中に、囁くような小さなそよ風が混じり、開け放たれた教室の窓から入ってきてギコとつーの顔を優しく撫でた。
「夏に…なるな」
ギコはなぜかそんな当たり前の事を言ってみた。きっと隣に居るつーはそんな事を言うギコに、「ナニ気取ッテルンダヨ」と言い、茶化すに違いない…ギコは言いながらそんな事を思っていた。
「ソウダナ…」
しかし、ギコの予想とは違いつーは普通に返してきた。ギコはつーのその言葉に思わず驚く、きっとからかってくると思ってたからだ。つーの性格からして、それは間違いないだろうと思った。しかしつーはそういう事はしなかった。それだけではなく…その言葉を言った時…つーはほんの一瞬だけ、いつもは見せないような寂しげな瞳をしたような気がしたのだ。しかし、もう一度ギコがつーの顔を見たときには、もうそんな瞳はしていなかった。
「はぁ…はぁ…いや〜酷い目にあった…」
突然教室のドアがガラガラと音を立てて開き、モララーが入ってきた。顔にあった凄まじい落書きはもう跡形も無く消えていた。
「おお、モララー良かったな落書き消えて」
ギコはモララーの顔にされていた落書きを思い出して、笑いそうになるのを必死にこらえる。
「ああ、ひでぇよ本当に朝っぱらからさ…」
モララーはそう言って頭をを掻いた。
「男ノクセニ情ケネェナ、油性ペンデ書カナカッタダケ有難ク思エ」
つーが落書きをしたペンは水性だったらしい、恐らく落書きしてもすぐに落ちるようにと気を使っての事だ、こんな所にもつーの優しさが現れているのだろう。(それは違うか)

ギコはこの世界はくだらないと思っている。しかし、仲間というものは素晴らしいものだとも思っている。ギコの仲間であるモララー、つーの二人は、ギコと同じような人間なので、お互いがお互いの事を良く分かり合えているし、欠点を理解し合えている。自分達が辛い状況に置かれている時、お互いに苦痛を分かち合えるような仲間…それこそが本当の友達と言うものなのだろう、ギコは基本的に救われない人間だが、友達には恵まれた。ギコに救いがあるとするならば間違いなくそこであろう、ギコはモララーや、つーと居る時が何よりも幸せだった。自分を誰もが理解してくれない砂漠のようなこの世の中で、友達だけがギコにとっての唯一の心のオアシスだった。しかし…それでギコの中の問題が片付く訳ではないのだが…しかし、ギコはそれでも良かった。『心休まる場所』それがギコにとって一番必要な物なのだから
キーンコーン…
その時…チャイムがいつものように機械的な音とリズムで鳴り響く、それを合図にしてみんなは一斉に席に着く、ギコもみんなと一緒に硬い椅子に座った。

今日も一日が始まろうとしている…ギコはそう思ったら、突然体の力が抜けてやる気がなくなり、机に突っ伏した。早く夏が来て、夏休みになってくれないかな…と思いながら…


〜第二章〜


校門の前でつーやモララーと別れ、ギコは家までの道を帰っていく。ゆっくりゆっくりと前へ進む。ギコはあまり家に帰ってもやることが無いし、第一いま親との関係がギクシャクしているので、まっすぐ家には帰りたくは無かった。でも、あんまり寄り道するところも無いため、あきらめて家に帰ることにする。
だんだんと家は近づく、ギコの家は街から少し離れた住宅街にある。街の方には学校があり、その先に少し行くと小さな駅がある。まぁそれなりの平凡な街だった。
「ん?」
ギコが家の前まで来た時、ギコの向かいの家に荷物が運び込まれているのが見えた。誰かが引っ越してきたらしい、ギコの向かいの家は数年前から空き家になっていた。いつかは誰かが引っ越してくるだろうと思っていたら、やはり誰かがこの街に来たようだ。
ダンボール箱をせっせと運び込む引越し屋を横目で見ながら、ギコは自分の家に入って行く。
「ただいまー」
ギコは蚊の鳴くような声でボソリとそう言うと、靴を脱いだ。その時、ギコの母親が玄関まで出てきた。
「あら、お帰り…向かいの家、誰か越してくるみたいね」
母親がそう言うと、ギコはやる気の無さそうな声で「ああ、見た」と言うとそのまま階段を上り、二階にある自分の部屋に行く。下で母親が「靴くらいちゃんと揃えなさい」といっていたが、ギコは聞こえないフリをして構わず部屋に向かう。
ガチャリと部屋の扉を開け、中に入る。部屋の扉には、ノートを引きちぎってセロハンテープで貼り付けた物に『勝手に入らないで、入るときはノックしてください』と書いてある。ギコがこの紙を貼ったのはこれで三度目だ。かっこ悪いので何回か剥がした事もあるが、そうすると親は勝手にギコの部屋に入るわ、入るときにノックもしないでいきなり開けるわで、嫌なので結局張り続けているのだ。何度かギコは親に部屋に鍵を付けてくれるように頼んだ事がある。しかしなぜだか知らないが、勝手に入るのは自分達のくせに、その話をしだすと「鍵? くだらない事ばかり言ってないで、少しは勉強しろ!」と、怒り出すのだ。何度かその事で父親と口論し、自分で鍵を買って部屋の扉に付けてしまおうかと考えた事も有るくらいだ。でも、そんな事したら余計に怒られるので、ギコは仕方なくドアに張り紙をすることで我慢しているのだ。ギコは部屋の中に入ると、すぐに制服の上を脱ぐ、そしてそのまま脱いだシャツを床に放り出しておく、最近ギコは前にもまして無気力になってしまい、最近は脱いだ服をかけることすら面倒くさく感じてしまう。おかげで最近、ギコが学校に着ていく夏服のシャツはシワになっている事が多い。ギコはとりあえず普段休みの日にいつも着ている服に着替えた。今日は金曜日だったので、明日は土曜日で休みだ。普段なら親に言われるまで着替えもしないのだが、今日は週末のため、すぐに着替える事にした。着替え終わるとギコはすぐにベッドに横になる。最近はいつも帰ってくると、食事の時間までゴロゴロしてすごす事が多い、学校の宿題はあるのだが、やる気がしなかった。最近ギコは学校の宿題も満足にやっていない、まぁギコだけでなくモララーやつーもやってきてなかったのだが……
最近ギコは酷く状態が悪かった。元からあった虚脱感が最近ますます酷くなってきているのだった。学校の勉強や宿題はもちろんの事、自分の趣味までやる気がしない始末だ。ギコは最近、自分の体が少しづつ透明になって消えていくような…そんな気さえしていた。特に一人で部屋に居るこの時にはそう言う気持ちが最も働いていた。…ギコは仲間と居るときはその気持ちを忘れていられるのだが、常に極度の不安感は彼の胸の中に潜んでおり、それがたびたび顔を覗かせるのだった。ギコは中学三年で受験の年と言う事もあってか、周りの「ガンバレ」と言う無責任な言葉を最近非常に良く聞くようになり、さらに自分の事をいくら言っても理解してくれないので、ストレスは溜まる一方だったのだ。行き場の無い怒りや無力感は、結局どうする事もできずに、ただギコの体の中で暴れていた。「苦しい苦しい」と暴れていた。
「ふあああっ」
ギコは大きくあくびをした。体の中の悪いものを吐き出すような感じで…
そしてギコは、少し口の中が寂しくなり、部屋を出て下に下りた。冷蔵庫に何かあるかもしれないと思ったのだ。ギコは台所へ行き、冷蔵庫を開けた。
「ちっ…ロクなもんがねぇな」
ギコはジュースも何も入っていない冷蔵庫を見て舌打ちした。そこらを見たが、ポテチのような菓子類もないようだ。
「……しょうがねぇなぁ…買いに行くか…」
ギコは無いなら無いで諦めようかとも思ったが、何となく何か食べたい気分が拭えないので、外に行って何か買ってくることにした。ギコは財布を持って家を出る。
「ちょっとコンビニ行ってくる…」
ギコは一応そう言っておいた。家を出るとまず目に飛び込んでくるのは向かいの家だった。ギコが帰ってきた頃よりダンボールの数も減っているが、まだ良く見ると大型の家具も有るようだ。ギコはそれを見て、全部運び込むにはまだまだかかるだろうなぁ…と思った。

その後…ギコはコンビニでポテチと缶のサイダー、さらにマンガ雑誌なども買った。そしてそれらを入れたコンビニの袋を左手にぶら下げるようにして持ちながら、ゆっくり家に帰っていた。もう空はオレンジ色に染まっていた。綺麗な夕焼け空だ。日中の暑さも、この時間になればそれほどたいした事は無くなる。ギコはこういう雰囲気が非常に好きだったりした。まだ幼かった頃、自分を取り巻く大人たちに意味も無くあこがれて、早く大人になりたいなどと言っていたあの頃の懐かしい気持ちが蘇るのだ。あの幼かった頃を思うと、ギコはいかに今の自分が汚れてしまったか分かる。あの純粋で何の汚れも無かったあの頃に戻れたらといつも思う。しかし…あの頃はもう二度と戻ってこないのだ。ギコはその切なさと悲しさに時には涙する事もあるくらいだ。それだけギコは今の自分が嫌いなのである。過去を振り返って、あの頃に帰れたらと強く思う気持ちが有ると言う事は、今の自分の現状に満足してないと言う事である。まぁ今のギコでは、自分を好きになれる訳が無い。ギコは、もし人生を一度からやり直せるチャンスがあるのなら、もう一度やり直したいと思うくらいなのだから…今までの自分を一切捨てたいと、ギコは常にそう思っていた。ギコは大きく溜息をつくと、目を細めた。
やがてギコは家に着く、出かける前にも見た向かいの家の様子をもう一度確かめる。まだ荷物は余っているようだ。ギコが向かいの家の様子を軽く見た後、自分の家に入ろうとした時だった…ギコは自分の後ろに誰か立っているような気配を感じて振り返る。
ギコが振り返ると、ここら辺では見かけない女の子が立っていた。いきなりギコが振り返ったためか、驚いたようにきょとんとした顔をしている。
「あっ…もしかして…ここの家に越してきたのかな…」
ギコは向かいの家を指差しながら言う、女の子は少し視線を落として軽く頷いた。
「へ〜、そうなんだ。俺はギコ、ここの家に住んでるんだ。これから向かいの家同士だね。よろしく」
ギコはそう言って微笑んだ。女の子はまだ視線を落としていて、ギコと目を合わせようとしない
「ところで、キミ名前は…」
ギコがそういいかけた時、女の子はいきなり走って家の中に入ってしまった。ギコが引き止める間もなかった。
「……なんだろ? 照れてたのかな?」
ギコはそう呟いて、自分の家の方に体を向けた。ギコはドアを押し開けて家の中に入る。

そして…ギコはすぐに自分の部屋に入ると、買ってきたポテチの袋を開封し、缶入りのサイダーを開け、ゴロンと床に転がりながらマンガを広げた。そしてマンガを読みながらポテチをつまんでゆっくりと口に運ぶ。
(さっきの女の子何だったんだろうな…目を合わせてもくれなかったし…年は俺と同じくらいだったよな)
ギコはマンガを読みながら先ほどの女の子の事を考えた。彼女はギコが今まで出会ったことの無いタイプの女の子だった。それに…ギコは何となくその女の子を見て、“ある予感”を感じていたのだった。つまり…あの女の子からは、何か…今の自分と似たものを感じたのである。まだ一分と少し程しか話していないのだが、何となくギコは感じ取ったのだった。自分と同じような感じを…あの女の子から…
とは言っても、気のせいかもしれないので、ギコはその事についてあんまり深く考えるのはやめた。代わりにギコは「それにしてもあの子結構可愛かったな…」と言うような事を考えるのだった。そう、ギコが今まで出会った中でもあの女の子は、なかなか可愛かった。ギコはあんな子がこれからうちの向かいに越してくるなんて、悪くない話だな…と思い、少し気分が晴れやかになった。それと同時に、結構自分って安い事で気持ちが晴れたり曇ったりするんだな…と、ふと思うのだった。ギコはそう思った後、再びマンガに集中し、読み始めた。外はだんだんと日が落ちて暗くなっていった。太陽が今日の役目を終え、西の空にゆっくりゆっくり沈んでいった。

やがて…ギコは気が付くと暗い部屋の中で目が覚めた。どうやらマンガを読んでる途中で眠くなり、寝てしまったらしい…寝ている間にもう周りは暗くなり、電気をつけていなかった自分の部屋は暗くなっていた。ギコは眠気覚ましのために、飲みかけのサイダーを少し飲んだ。しかしもう開けてから時間が経っているため、サイダーの炭酸は殆ど抜けてしまっていた。おまけに心なしか少しぬるくなったような気がする。ギコがぼんやりとした頭でじっとその場に座っている時、下の部屋から「ご飯出来たよー」と言う母親の声が聞こえた。ギコは大きくあくびをすると、ゆっくりとした足取りで部屋から出て、下の部屋に下りていった。


〜第三章〜


月曜日…それは一週間で最も嫌な日である。恐らく誰もがそう思っているだろう、ギコもうるさい目覚ましの音に嫌々ながらも無理矢理叩き起こされ、ヨロヨロと階段を下りていった。
「おはよう…」
ギコは覇気の無い声を出してそう言うと、そのまま洗面所に向かう。冷たい水で顔を洗い、制服に着替えると、朝ごはんを食べて歯を磨き、家を出る。そんな一週間の始まりはもう何回繰り返したか分からないのに、未だに慣れないものだ。何回月曜日を迎えても、気持ち良く朝を迎えることはできなかった。いや…遠い昔、幼かった頃は笑いながら朝を迎えたものだったが、今はそんな気持ちはどこへやら…不快感しか無かった。
「行ってくる」
ギコはそう言って家のドアを開ける。置き用具をしていてロクに物も入れてないようなカバンがやけに重く感じられた。
ギコはふと前を見た。いつもと同じような光景が在るだけの外だと思ったが、その日は違っていた。家を出るとすぐに目に飛び込んでくる向かいの家にもう誰かが来ているからであった。昨日の女の子も、もう学校に行っている時間なのだろうか…そんな事を考えて、ギコは学校へ向かう。

学校に来る途中で、いつも通りにモララーや、つーと合流し、一緒に校舎に入った。教室の中に三人で入ると、他の生徒の話が耳に飛び込んできた。どうも今日、転校生がくるらしい、ギコにはすぐに分かった。それが昨日、自分の家の向かいに越してきたあの女の子なんだと。
「なぁみんな知ってるか? ギコの向かいの家に女の子が引っ越してきたんだぜ! 多分その子だよ、今日の転校生はさ」
モララーは嬉しそうにそう言う、ギコはモララーとつーに、自分の家に引っ越してきた人が居るという事を、学校までの道で話してあった。
「マジかよ! で? どんな子だ? ギコはその女の子見た? もし見たならさぁ…どんな子か教えてよ、可愛かったか?」
クラスメイトが一斉にギコの周りにぞろぞろと集まって聞いてくる。
「見たよ、…まぁ…それなりに可愛い子だったよ」
ギコは無難な返事をしておいた。あんまり目を合わせてくれなかった事などは話さない事にする。
「へぇ〜いいなぁ…そんな子が近くに越してくるなんて…」
クラスメイトがギコに羨ましそうな眼差しを向けた。ギコは軽く笑ってみる。
「オマエラ今日ソノ女ノ子ガ転校シテ来テモ、スケベナ事スルンジャネェゾ!」
「するか!んな事っ!!」
つーのその言葉に、男子生徒は真っ赤になって言い返す。
「そうだぜみんな、女の子には優しくしないとな」
モララーがすました顔をして、気取った感じで言った。
「何言ッテンダ、オ前ガ一番心配ナンダロウガ」
そんなモララーにつーはそう言ってニヤニヤする。
「んなっ…! どういう意味だよ! 俺がスケベだってのか!?」
「ウン、ソノトオリ!」
モララーの言葉に即答するつー、「俺はスケベじゃねぇぇっ!」と怒鳴るモララー…そんな様子を見て、ギコとギコの周りに居るクラスメイトは大笑いしていた。その時…ホームルーム開始のベルが鳴り、先生が入ってきた。先生は案の定、「転校生が来ました」と言い、教室の中に招き入れる。ゆっくりと教室の中に入ってきたのは、やはり向かいに越してきた女の子であった。先生は女の子が中に入ってきたのを確認すると、「今日からこのクラスに入ることになったしぃさんだ、みんな仲良くするように」と言った。その時点でギコは初めて彼女の名前がしぃだと知った。先生にそう言われた後、しぃは軽く頭を下げた。
そして、しぃの席は…一番後ろの方の席になった。ギコの席と二つほど離れた場所だ。しぃは相変わらず下のほうに視線を落としていた。
「では、授業を始める」
転校生を席に座らせると、すぐに授業は始まった。ギコはしぃが気になって彼女の方をふと見る。彼女はまだ視線を下のほうに向けていた。ギコはそんな彼女を見て、しぃはあんまり人と目を合わせたくないのだろうかと思った。しかし、事はそれほど単純では無かったのである。それが分かったのは、しぃが転校してきてから4日ほど経った頃の事だった。
周りの奴がしぃの事を噂していたのである。どうもしぃは喋れないらしい…なんで喋れないのかは分からないが、話しかけても言葉一つ発しないようなのだ。よっぽど何か嫌な事があったのか…それは分からない、何度かつーが話しかけようとして、しぃにいろいろ言葉をかけてやったのだが、しぃは反応こそすれど、返事一つしなかった。だから周りではしぃに対する悪い噂が広まっていたのであった。そんな噂をするから彼女は話す事ができないのかもしれないのに…
ギコから見て、しぃはいつも悲しそうな顔をしているように思えた。それは恐らくギコの見間違いなどではないのだろう、きっと彼女にも何か特別な“理由”があるのだ。そう思ったら、ギコはますます彼女が、自分と近い存在なんだと思えるようになってしまった。

そして…ある日、一つの出来事が起こり、ギコはしぃに隠された“理由”を知る事となった。


〜第四章〜


その出来事が起きたのは、掃除の時間であった。ギコが自分の班の場所の掃除を一通り終え、教室に帰ろうと生徒のあまり通らない廊下の角を曲がったときであった。突然誰かが、ものすごい勢いでぶつかって来たのである。それと同時に冷たいものがギコの全身にかかった。どうやら走ってきた生徒がギコと衝突し、持っていたバケツの中の水をぶちまけてしまい、それがモロにギコにかかってしまったようなのだ。
「つ…つめてぇ…」
ギコは思わずそう言って、ぶつかって来たのが誰なのかを確かめるべく、前を見た。するとそこには、怯えた顔をしているしぃが座り込んでいた。彼女はギコに怒鳴られるでも思ったのだろうか…明らかに恐怖の感情を含んだ瞳でギコを見ていた。彼女は喋れないために、「ごめんなさい」とも言わないが、明らかにその瞳からは謝罪の思いが伝わってきた。『目は口ほどに物を言う』とは昔から言う言葉だが、確かにそうだとギコは思った。
「あ……気にしなくてもいいよ。このくらいすぐに乾くし…むしろ今は夏だから涼しくていいくらいだよ」
ギコは彼女を安心させるべく、明るい声で笑いながらそうしぃに言った。しかししぃはそれでもまだ怯えたような目をしていた。
ギコは「怖がらなくていいよ、俺は怒ってなんかいない」と言う。その言葉に少しだけ、しぃの強張った表情が緩んだ。
「とにかく、ここ濡れちゃったから拭かなきゃな…雑巾持ってくるからここで待ってて」
ギコは濡れてしまった廊下を拭く為に、近くの掃除用具入れから雑巾を何枚か出し、持ってきた。
「さぁ、こんなとこ誰かに見られたら、いろいろうるさいからさ、早いところ拭いちまおうぜ」
ギコはしぃにそう言うと廊下を雑巾で拭き始める。しぃもそれを見て、慌てて拭き始めた。そしてもう少しで全部拭き終わるな…と、ギコが思った時…
「ありがとう…」
突然綺麗な声がしたため、ギコは驚いて戸惑った。誰がしゃべったんだ?と思った。しかしギコはすぐに、それがしぃの声なのだと気が付いた。
「しぃ…お前…しゃべれたのか?」
ギコがそう言うと、しぃは少し顔を赤らめて「うん」と頷く。ギコの顔は自然と笑顔になっていた。しぃが…誰とも喋らなかったしぃが、自分に喋りかけてくれたのだ。
「ごめんね…怖かったから…今まで…ずっと…初めて会った時も、挨拶もしないで逃げていっちゃったよね…ごめんね」
しぃはゆっくりとか細い声でギコに言った。初めてしぃに出会ったあの日の事も、ちゃんと覚えていてくれたのだ。ギコは嬉しくなって自然と顔がほころんだ。
「何言ってんだよ、気にするなよ。人にはそれぞれ“理由”があるんだ。しぃにだって、みんなと喋れない理由が何かあったんだろ?」
ギコはしぃの顔をまっすぐに見ながら言った。ギコが思っていた通りに、彼女は自分と同じような“理解されない者”だった。しぃはギコの言葉に、その大きな瞳を潤ませて体を小刻みに震わせた。
「大丈夫だよ、もう一人じゃない」
ギコが優しくそう言うと、しぃはついに耐えられなくなったのか大粒の涙をこぼした。そして涙ながらに話す。
「実は…私…」

しぃの話はギコの想像を絶するものだった。彼女は父親から精神的な虐待を受けていると言うのだ。それはすなわち、暴力こそ振るわれないが、心の中に土足で上がりこみ、しぃの全てを踏みつけるかのような罵声を浴びせていると言う事である。そのショックからしぃは喋れなくなった…それもそうだろう、まだ中学三年生の彼女にはあまりにも重過ぎる心の痛みだ。そうなってしまうのも仕方の無い事だ。
「そうだったのか…でもなしぃ…俺はお前の味方だ。心を病んでいる奴ってのは、周りから理解されないもんなんだ。でも俺はしぃの事を理解するよ、例えお前が喋れなくても変だなんて思わないし、差別もしない」
ギコは助けたかった。しぃの事を…同じ理解されない者を…救いたかったのだ。だからギコは、必死にしぃを助けてやろうと、言葉を探して繋げる…そんなか細い言葉しかギコにはかけてやる事ができなかった。
「ありがとう…」
しかし、それでもしぃは笑ってくれた。泣きながらも、しっかりと笑ってくれた。
「泣くな…しぃ、俺の友達も紹介するよ。これからしぃは…俺達の仲間だ!」
ギコは精一杯にしっかりとそう言った。ギコの心には春風が吹いていた。仲間がまた一人増えた事で、心が軽くなったのだ。
そう、仲間ほど大切なものは無いのだ。ギコたちのような者にとっては…


〜第五章〜


それから…ギコ達は、しぃを自分達の仲間に入れた。みんなで一緒に帰ったり、辛い事があったら励ましあったりした。しぃは良く笑うようになり、色々な事をギコ達に話してくれるようになった。ただ…しぃは自分が心を許している人、つまりギコや、モララー、つーのような仲間として自分が認めている人としかしゃべろうとしないので、周りのクラスメイト達には性格の悪い奴だと罵られていた。そのため、ときどきしぃはものすごく悲しそうな表情になる。しぃも同じだ。周りに自分の“理由”を理解してもらえないのだ。しぃが心を許した人としか喋れないのは別にしぃが悪いのではない、それなのに…誰もそれをわかっていない
どうしてなのだろうか…この世の中は、周りに合わせられない奴を認めない…少しでも周りの者と違う奴がいたら、そいつは嫌われ、虐められ、仲間外れにされる…それが今のこの世の中なのだ。なんでこんなに汚いのだろうか…世の中とは…
ギコは毎日をなるべく楽しく過ごそうと頑張っては来たが、いつでも心の奥底には引っかかる物があった。まるで癌細胞のような淀んだ異物…それは言わずもがな、自分の事だった。ギコは自分には悪いところは無いと思って生きてきたはずだが、周りからはいつでも悪者にされる。だからその内に、ギコはついに自分が本当は悪いのではないのかと思い始めるようになった。
しかし、実際のところは良く分からない…もっと言えば、何が正しくて何が間違っているのか…ギコにはそこの所がもうすでに良く分かっていなかった。
しぃも、モララーも、つーもそれは同じだろう。

そして、毎日のように学校に通い…お互いを励ましあいながら生きてきた毎日が、一旦休憩を迎えようとしていた。そう、もう季節は七月後半…夏休みがやってきたのである。ギコたちの学校は今日、終業式であった。そして、すでに式も終わり、宿題も配られて帰る時間も迫った時、教室でその出来事は起きた。
「はぁ!? 家出ぇ!??何でまた?」
モララーが素っ頓狂な声を出して顔をしかめた。つーやしぃも驚いていた。そのはずである。ギコは家出すると言ったのだから…
原因はこうである。昨日の夜、ギコは親といつもの通り喧嘩をした。喧嘩の内容はもう言わなくても分かると思うが、成績の事だ。そこから例のギコの反論が始まり、親はそれを聴きもしない、やがてギコが「何で分かってくれないんだよ! それでも親か!!」と言い、その言葉に対して父親が激怒し、ギコを一発殴った。ギコはしばらく呆然とした後、「もう、うんざりだ!! こんな家いつか出て行ってやるからな!!」
と言い、自分の部屋に入ったまま朝まで出てこなかった。そして今朝は朝食も食べず、親と目を合わせないまま家を出て学校に来たと言うのだ。
「ソレデ? 何時家出スルンダ?」
つーがのんびりとギコに聞く、ギコは深刻な面持ちのまま「今日帰ってすぐだ」と答えた。今日は半日で帰るため、午前中まで仕事に行っている母親も家にはいない、だから親が帰ってくる前に荷物をまとめて家を出て駅に行き、電車に乗って終点の駅まで行ってしまおうかとギコは考えていたのだった。
「ギコ君…止めようよ家出なんて…親が心配しゃうよ…」
しぃが心配そうな声でそう言う、しかしギコの決心は変わらない。
「いいんだよ、しぃ…俺の親は俺の事なんか何にも分かっていない…俺と真正面から向き合う気が無いんだ。昨日でそれがハッキリと分かった。もういいんだ…もういい…」
ギコはそこまで言うと俯いた。涙がこみ上げて来たのだ。ギコは歯を食いしばって涙を必死にこらえる。
「親が俺を捕まえて連れ戻さない限りは、俺は夏休み中ずっと家に戻るつもりは無い、学校も無いし、部活も入ってないから無いわけだしな…だから夏休み中、俺はみんなに会えない、それを伝えておきたかったんだ」
ギコがそこまで言った時、終業のチャイムが鳴り響き、放課後になったと伝えた。クラスメイトはぞろぞろと教室を出て行く、ギコも鞄を持って座っていた椅子から立ち上がった。
「じゃあな、夏休みが終わったらまた会おう…」
ギコはそう言って教室を出て行こうとする。その時…
「待てよ」
モララーがギコの腕を掴んだ。
「面白そうじゃん、一夏限りの家出なんて…青春じゃねぇか! 俺も仲間に入れろよ! 水臭いぜ、俺達を置いて一人で行こうなんてさ」
モララーはそう言ってニッと笑う。
「モララー…」
ギコがそう呟いた時、さらにつーがギコの傍にやって来た。
「アタシハ家ニイテモ、ドウセイツモノヨウニ親ト喧嘩シタリスルダケサ、アタシモ親トノ仲ハ良クナイシネ…ダカラアタシモ連レテケヨ、タマニハ親ヲ心配サセテヤリタイシ、ソレニ旅ハ人数ガ多イホウガイイダロ?」
つーもモララーと同じように笑って言った。ギコはそんな二人の言葉に戸惑いながらも、嬉しくて涙がこみ上げてきた。
「みんな…」
ギコは涙を見られないようにスッと袖で涙を拭うと、二人に笑顔を向けて「しょうがねぇな…足手まといにならないってんなら付いてきてもいいぜ」と、ふざけながら言った。
「なぁ、しぃはどうするんだ?」
唐突にモララーが言う、しぃは俯いていた。迷っているようだ…それもそうだろう
「しぃ、しぃが嫌なら無理して付いてくる事なんて無いよ。しぃの自由にすればいい…どうする?」
ギコはなるべく優しくしぃに言った。しぃは伏せた顔をゆっくりと上げると、小さな声で囁くように「私も行きたい」と言った。
「私…はっきり言って、家に帰りたくなんか無いの…帰ればお父さんに嫌な事を言われるし、お母さんもお父さんと喧嘩ばかりしてて、私の居場所なんかあの家には無い…だから夏休みの間だけでも、みんなと一緒に過ごせるなんて嬉しいよ…後で怒られるかもしれないから心配だけど…怖がってちゃいけないよね…」
しぃは少しだけ寂しさを含んだ瞳でギコたちの方を見ながら言った。しぃもみんなと同じだ。みんな…ほんの一瞬の間でいいから、この過酷な現実から離れたいのだ。そう…カーテンの隙間から暗い部屋に差し込む光のように…儚いけれど命の輝きにあふれた“何か”を…ここにいるみんなは、掴みたかったのだ。
「シィ! 怖ガル事ナンカ何モ無イヨ!! 皆デ楽シイ夏休ミヲ過ゴソウナ!」
つーがしぃの方に手を回して元気よく言う、しぃはそんなつーを見て思わず微笑んだ。ギコもモララーも、自然と笑顔になっていた。
「よし! じゃあ全員荷物を持参して駅に集合! どうも終点にある町には海があるらしいから、水着とかも持っていくといいかもな、後はシュラフ(寝袋)とかもあるといいかも…このさいだ。こうなったら楽しんでやろうぜ! 中学最後の夏を家出ライフで満喫だ!」
ギコは手を前方に出すと、高らかにそう宣言する。やがて他のみんなも、ギコの手に自分の手を重ね、頷く。
「よっしゃあ! 最初家出って聞いた時は暗そうな雰囲気だったけど、なんだかんだで楽しくなりそうじゃん!! よ〜し、テンション上がってきた〜!」
モララーが弾けるような笑顔で飛び跳ねる。まるで無邪気な子供のようだ。他のみんなも太陽のように輝かしい笑顔で笑っていた。


そして…とりあえずギコ達は、家出に必要最低限の荷物を家から持ってくると、そのまま街の駅に直行した。駅でギコ達は落ち合い、もうすぐ来る電車の切符を買い、改札を抜けた。駅のホームでギコ達は胸を躍らせながら電車を待つ
「いよいよだな、俺達の家出の始まりは」
「アア、楽シミダ」
「ギコ君、これから行く所って海の傍の町なんでしょ、私ね…海って大好きなんだ」
「俺もだよ、向こうに付いたら海で泳ごうな」
それぞれが、これから赴く地への期待を駆け巡らせて笑っていた。そうしているうちにホームに電車が来る。
「よし、では…一夏限りの夢の旅行に出発だ!! エイエイオーッ!」
「えいえいおーッ!!!」
ギコ達は、この街に陰鬱な物事をすべて置いて出発する……ギコも…他のみんなも…今までに無かったほどにテンションを上げていた。なぜなら…今までこれ程までに楽しくなれる事は無かったからだ。

そして電車はギコたちを乗せて海辺の町へと赴く…


〜第六章〜


電車は単調なリズムの音を立てて終点の駅へと近づく、目まぐるしい勢いで通り過ぎていく景色は、いつの間にか比較的緑の多い田舎の景色に変わっていた。
「何カ乗ッテル客ガ殆ド居ナクナッタナ」
つーがおもむろにそう言う
「途中まではたくさん乗客がいたけど、殆ど途中の駅で降りちまったからな…まぁその方が騒がしくなくていいじゃん、なぁモララー」
ギコは隣に座っているモララーに話しかける。しかしモララーの返事は無い、どうやらポータブルオーディオで音楽を聴いているらしい
「お〜い、モララー」
ギコはもう一度大きな声でモララーの名前を呼ぶ。するとようやくギコが話しかけている事に気づいたのか「んぁ?」と間抜けな声を出して耳につけていたヘッドホンを取る。相当大きな音で聴いてたらしく、外したヘッドホンからは音が漏れていた。
「おまえ客が少ないからいいけど、あんまりボリューム大きくして聴くなよ。周りにも音が聞こえて迷惑になるし」
ギコはそう言った後「ところで、何聴いてんだ?」と、モララーのヘッドホンの片方を自分の耳に付けた。その時である…ギコの鼓膜をつんざかんばかりの轟音がギコの耳にダイビングしてきたのである。単にボリュームが大きいと言う訳ではない、モララーが聴いている音楽のボーカルの声が異常に大きいのだ。張り裂けんばかりの声で歌っているのである。
「ぐおおおおっ! 耳が〜〜!」
ギコは思わず体をのけぞらせた。
「ハハハ! やめとけやめとけ『G・S・P』は素人にはお勧め出来ないよ」
そう言うと、再びモララーはヘッドホンを付ける。どうやら好きなバンドの曲を聴いているらしい
「おまえ…そんなダミ声のバンドどこがいいんだよ…」
そう言うギコの耳の中にはいまだに残音が鳴り響いていた。
「まぁ…この良さは分かる奴しか分かんねぇな、なんなら『G・S・P』の魅力を俺がレクチャーしてやってもいいぜ」
モララーが嬉しそうな顔で言う。ギコは「いいや、ことわる」と即答した。
「ねぇ見て! 海だよ! 海が見えてきたよ!!」
しぃが子供のようにはしゃぎながら窓の外を指差す。ギコはその言葉につられて窓の外を見てみた。そこにはどこまでも広がる大きな海があった。太陽の光も一段と強さを増したようで、周り全てが輝いて見えた。
「うわぁ…」
ギコを始め、他のみんなの口からも感嘆の溜息に近い声が漏れる。これからここで夏休みの間を過ごすんだと思うとわくわくして来るのだった。


『まもなく終点です』
車上アナウンスが響いた。ギコ達は若干多めの荷物を持って電車を降りる準備をする。そしてしばらくすると、電車は終着駅で止まる。
電車のドアが開いたと同時にギコ達は外に飛び出した。
「うわっ…」
太陽のまぶしさと暑さにギコは驚く、どこまでも青い空…輝く入道雲…夏だ。紛れも無い夏の香りが立ちこめていた。
「イヤ〜…想像ハシテイタガ、アタシ達ノ街トハヤッパリ違ウナァ…キモチイイッテ言ウノカナ…ドコカ別ノ国ニリゾートシニ来タミタイダ」
周りの雰囲気につーもご満悦の様子だ。モララーはテンションが上がりまくったのか、はしゃぎ回っていた。
「よ〜し…さっそく海行こうぜ海!! ここから歩いてすぐの所に海岸があるだろ」
モララーはそう言うと勝手に走り出す。
「あっちょっと待ってよモララー君! 私も海に行く〜」
しぃもそんなモララーの後を必死で追いかける。ギコとつーもその後を追った。四人は海を目指して進む、改札を抜けて小さな駅を出てしばらく走ると、堤防が見えた。
「海だ海だ海だ〜〜!!」
堤防はどんどん近づく、セミの声を打ち破るかのようにはしゃぎ声を上げながら四人は走る。そしてようやく砂浜に下りた。海水浴を楽しんでいる人がすでに結構いるようだった。
「よ〜し、早速泳ごうぜ!! みんな! 水着に着替えて集合だっ!!」
モララーは気合の入った声でそう言うと設置してあるロッカー室に走る。
「あっ…ちょっと待てよモララー…全く忙しいなアイツは…じゃあ後でな」
ギコはしぃとつーにそう言うと、モララーの後を追った。砂に足を取られて少々走りにくかった。
「じゃあ私達も行こ♪」
「ア、アア…」
しぃとつーも二人でゆっくりと着替えに向かった。


「いや〜それにしても楽しみだね〜ギコさん」
モララーは着替えながら唐突にそう言う。
「何が?」
ギコはそう言って首をかしげた。
「何が? じゃ無いでしょう、何が?じゃ」
モララーはそんな事も分からないのかとでも言いたげだ。
「だってお前…しぃとつーの水着姿だぜ〜夢にまで見た光景が俺達の目の前に現れるワケだ! 特につーなんか結構いい体してっからなグフフフフフフ…」
モララーは怪しげな笑い方をする。スケベそうな顔で…
「オマエはエロ親父かッ!! 少しは落ち着けよ、テンション上げすぎだっての」
ギコはモララーにそう言いながらも、実は心の中で『しぃの水着姿が見れるぜ!! よっしゃあ!!』と思っていた。もちろん人にそんな事言えたもんじゃないが…
と、言うわけで期待に胸を躍らせてギコとモララーの二人は一足先に水着に着替えて外に出る。二人は待った。しぃとつーが出て来るのを…
「おまたせ!」
しぃの声だ。それを聴いた瞬間にギコとモララーは振り向く
「うおおおおっ!!!」
モララーは目の前の衝撃的な光景に驚愕し、感動のあまり涙ぐんだ。ギコも驚いた顔のままその場を動けない…しぃはスタンダートだが、なかなか可愛いブルーの水着、そしてつーはなんとビキニであった。太陽のように輝かしい笑顔のしぃの隣で、恥ずかしそうに顔を赤らめたつーがもじもじとしていた。
「なんだなんだ!? つーお前気合入ってんじゃん!! さては俺達の気を引こうとしたなぁ?」
モララーがニヤニヤしながらつーに言う。
「ウ、ウルセー!! コレシカマトモナ水着ガ無カッタンダ!! ア、アンマリジロジロ見テルトブットバスゾ!!」
赤面しながらつーは怒鳴る。そんなつーをみてしぃは笑う。ギコも思わず笑いがこぼれた。
「ナ…ナニガオカシインダオマエラ!! コラー!!」
「うわー! 逃げろ逃げろ!!」
追いかけっこが始まる。その後もみんなは思いっきり遊んだ。今までの事を吹き飛ばし、自分の中にあったモヤモヤした何かを爆風でかき消すように…


〜第七章〜


やがて…海の町に夕日が輝く時間になった。この頃になると、海岸にいた人影もまばらになる。ギコとしぃ、モララーとつーは、それぞれ別の場所で話をしていた。日中遊びまくり、すでに遊ぶ体力も尽きかけてきていたので、水着を着替え海に沈む夕日を見ながら話をしようという事になったのだ。
「楽しかったよ、今日はすごく」
しぃがギコの隣で微笑む。ギコは座っている砂浜の砂を片手で弄りながら照れ隠しに笑う。
「しぃ、これからだよ。これからもっと楽しくなるよ、なんたって夏休みの間中家出してんだからさ、この生活があと何日も続けられるんだ! 天国だよ本当に」
ギコは笑いながらそう言った後に、輝く夕日を見て目を細めた。
「ねぇギコ君…私達は…」
しぃが囁くような声で喋りだした。ギコは「何?」と、しぃの方を見る。
「私達はさ…そのうち嫌でも大人になっていくんだよね…そう思うとなんだかすごく怖くて…毎日毎日不安だった。私はいつも思ってた。年や体だけがどんどん勝手に大人になっていって、“私”はいつも置き去りだった。でも…どうすればいいのか分からなかった」
そう言うしぃの顔はどこか寂しげで…切なそうで…今にも泣き出しそうだった。その顔が夕日に照らされて、悲しみの感情がさらに出ているように見えた。
「でも…そんな事考えなくていいのかな……今日のことで私はそう思えた。思い切ってみんなで家出して、何も考えずにみんなと遊んで…みんなと触れ合ってた時間が、そう思わせてくれたんだ…」
そう言うしぃにギコは軽く微笑み、「そうだよ、考えなくてもいいんだ」と言った。そう…そんな事は考えれば考えるほど、空しいだけ…出口の無い迷路を地図もコンパスも地図も無く、さまよい歩いているような物なのだ。人はみんな大人になる。しかし…その大人になるリズムに付いて行ける者はほとんどいない、安心してゆっくりと自分のペースで付いていけばいいのだ。
「例えば…しぃさぁ…“努力”って何だと思う?」
ギコは唐突にそう言った。しぃは良く分からないのか「努力?」と聞き返す。
「俺…思うんだ…周りの大人たちに努力しろって言われたときにさ、いつも考えている事があった。人に努力しろとか言う奴は、じぶんの物差しで人を計ってるっ…てね。努力って言うのはさ、多分個人差があるんだよ。人それぞれに努力の度合いがあって、何が努力なのか? と言うような価値観も人それぞれ…先生の言う事をハイハイ聞いてりゃそれが努力って訳じゃない…勉強をやりまくればそれが努力って訳じゃない…」
しぃはギコの話に聞き入っていた。ギコが話す事は、まさに自分自身が言いたかった事だからだ。
「例えばこんな考え方だってできる。世の中には学校へ行く事すらままならない奴もいる…周りの奴は学校へ行く事なんか最低限の事だ、当たり前だって言う奴がほとんどだけど、そんなわけないんだよ。学校に行く事がどうしても苦しくてできない奴だっているんだ。だから、学校に毎日休まずにちゃんと通っている。例えこれだけでも十分な努力なんじゃないのかと俺は思うよ。どんなに小さくても、それは当たり前なんかじゃない、できて当然の事じゃない…人は誰もが努力をしてるんだよ」
ギコはそう言って軽く笑う。しぃは小さな体を震わせていた。どうやら泣いているようだ。
「しぃ? なんで泣いてるの?」
ギコは突然のことに少し慌てる。
「ごめんね……ギコ君の話聞いてたら、何だか安心して…本当にそうなんだなって思ったら、なんか急にホッとしちゃって…苦しかった今までがみんな私の中から消えていって…良く分からないけど……泣けてきちゃった…」
しぃはそう言うと涙を拭う
「しぃ…」
ギコは思った。自分達は、あまりにも色んなことを抱えすぎている…と…そして……これからはもう…抱え込むのはやめようと思った。
「しぃ…大丈夫…どんなに辛くても…俺達はみんな一人じゃないから…俺達がいつだって傍にいるから…」
ギコはしぃの震える肩を抱き寄せる。しぃもそれに身を任せた。


一方…モララー達も堤防の上で、話に花を咲かせていた。
「そういえば…つーは転校生だったよな、前の学校はどんな感じだったんだ?」
モララーが不意に切り出したその話題に、つーは俯く…そしておもむろに一枚の写真をポケットから取り出してモララーに突きつけた。
「なんだ? この写真?」
その写真には、男の子が写っていた。
「アタシノ彼氏サ、前ノ学校ノナ…フサッテ言ウンダ」
「彼氏ィ?」
モララーは驚いた。つーに彼氏がいるなんて思いもしなかったからだ。
「へ〜、で? そのフサ君とは今も遠距離恋愛…」
モララーがそこまで言いかけた時…
「死ンダンダ…交通事故デ…アマリニモ突然ダッタ」
モララーの言葉に割り込むようにつーはそう言う、モララーはなんと言って良いか分からず、ただ「そう…か…」としか言えなかった。
「ダカラ前ノ学校ノ生活ハ途中カラスゴクツマラナクナッタヨ…ダカラ転校シタ…デモココニ来テカラマタ…楽シクナッタンダ…毎日ガナ」
「何でだ?」
モララーはつーに聞く。
「…………」
一瞬だけ沈黙をはさんで、ゆっくりと…少し照れながらつーは言った。
「モララー…オ前ハ、何トナク似テルンダヨ…フサニ…」
モララーはつーの言葉に目を丸くする。
「イツモ明ルクテ…前向キデ…馬鹿ミタイナ所ガスゴク似テル…ダカラサ…オマエ姿ヲ見テルト、死ンダフサガ帰ッテ来タミタイデ…嬉シインダ……」
つーはそう言うと顔を伏せた。
「………つー…」
つーはその時、泣いていたのかもしれない。肩が小刻みに震えていたからだ。
「つーさぁ…俺は思うぜ、どんなに自分達が辛い状況に追い込まれたときでも、一緒に居て楽しいヤツが居る限りは…きっと頑張れるんだ。友達ってのは大切だよ…どんなに勉強が出来たって…大人になっていい職業に就いたって…心から信頼できる人が居なきゃ無意味なんだ…俺は分かってきた。みんな先のことを考えすぎなんだ…俺たちが考えなきゃいけないのは、未来でも過去でもない…『今』なんだよ…」
モララーは笑いながらそう言った。
「だからさ…お互い…今を大切にしよう。二度と戻らない今を…悩みなんか無くしてさ…」
モララーは何を言っているか自分でも良く分からなかった。でも…それらの言葉は…ギコたちが生きていく上で、きっと大切なものに違いない…ほんの少しの冒険で四人が見つけた本当に『大切なもの』誰にも分かってもらえなくてもいい。それは…同じような事で思い悩む全ての人たちへのメッセージなのだから…

「さぁ…明日からも遊ぼう…少しでもこの世の中から解き放たれるから…」

誰かがそう言った。それがギコなのか、モララーなのか、しぃなのか、つーなのか…それは分からない…

〜この物語ははまだ終わらない。ギコ達が仲間との友情を更に深め、この世の理不尽さに苦しみ…もがき…それでも生きて…出会いや別れを繰り返し…生きていく様を描いた物語だからだ。しかし…それをすべてここで書くことは出来ない。しかし…ここまでの物語で、これを読む全ての人々にこの物語の大切な部分を、少なからずは分かってもらえたはずだ。しかし、中にはこの物語の意味する所が理解できない者も居るだろう。しかしそれはしょうがない…この物語はほんの一握りの人にしか、この物語が伝えたい真の“メッセージ”を伝える事が出来ないように出来ている。願わくば…できるだけ多くの人に感じてもらいたい…この物語の真の“メッセージ”を…〜


最後に一つだけ…この物語の作者からのメッセージだ。


「僕と同じ悩みを抱える者に…少しでも幸せが訪れる事を、心から願います」

END

 

 

 

後書き 如何だったでしょうか、今回書かせてもらったこの小説はハッキリ言いますと、今まで自分が書いてきた作品の中でも最大の『問題作』です。
何故かと言うと、自分自身の抱えている問題にかなり突っ込んで書いた上に、今の世の中にもかなりケンカ売ってるんで…(笑)
…まったく、自分は限度と言うものを知らないなぁ…と、つくづく思いましたよホント……この小説を見て感じる事は人それぞれだと思います。
しかし、この小説が伝えようとする事はただ一つです。
その『伝えようとしている事』をあえて僕はここでは書きません。
おぼろげでもいいから、これを読んだ人がそのメッセージを感じ取ってくれた方が僕は嬉しいからです。
本当はこの話はまだまだ続きがあるのですが、文字数の限られているこのイベントではこれ以上書くことはさすがにできず、途中でぶった切ったような終わりになってしまいました。
(ああ…なんで僕ってこんなに計画性がないんだろ…)
そういうこともあって、果たしてこの作品が“小説”としての価値があるのかどうなのかは微妙なところですが、それでもいろんな人にこの作品を読んでもらいたいです。

長くなりました。すみません、このようなイベントがまたあったら、再び参加させてもらいます。(余裕があればの話ですが…)