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ぽた、ぽた、ぽた。
 何処か遠くで雫が落ちる音が聞こえた。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 それは止む事を知らない。
 一定の間隔でさっきから床に当たって弾けていた。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 僕は少し呻きながら布団を被る。
 別に怖い訳じゃなかった。
 ただそれに起こされる事が嫌だった。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 そいつは段々近づいてきた。
 足音は立てず、水滴の音だけを響かせながら。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 それはやがて僕の枕元までやってきた。
 足の気配が頭のすぐ横にする。
 けれどまだ僕は怖がってはいなかった。
 ぽた。
 さっきからずっと鳴り続けていた音が止む。

「―――――」

 彼女が何かを口にした。
 それはまるで春の蝶の溜息の様に小さなもの。
 この時、僕はそいつの事を見ていなかったに関わらず、そいつが僕と同じぐらいの年だ
と知っていた。
 そして春を象徴した様な姿である事も――。
 僕はゆっくり布団から頭を出しながら彼女を覗く。
 やはり怖い訳じゃなかった。
 ただそうしないと彼女は消えてしまう様な儚い夢の様な存在である様な気がしたから
だ。
 彼女はまるで桜の様な色の体をしてい、頬には綺麗なアスタリスクが映えていた。
 目は五月の空の様に透き通り、それよりももっと透き通った雫を目に浮かべている。

「―――――」

 彼女はにっこり綺麗に笑った。
 けれどそれからは言い表せない程の悲しみとか、そんな物が込められていて、僕は胸を
抉られた気分になる。
 彼女は僕を見つめながらゆっくりと腰を下ろし、僕の頬に優しく触れた。

「――――――、―――――――。―――」

 其処で僕の記憶は途絶えている。
 記憶といっても、恐らくこれは夢だったのだろう。
 それに根拠なんて無かったが、あれは現実だったと思う方が根拠が無い気がする。
 翌日からも僕は何も変わりない極平凡な生活を送った。

「へえ。じゃあモララー君は将来お医者さん候補なんだね。凄いな」
 彼女は人懐っこい笑みでとても嬉しそうに笑う。
 その笑顔に誘われて僕も小さな笑みを浮かべた。

 彼女の名前はしぃ。こんなに親しそうにしているが、実は今日初めて会ったばかりだっ
た。
 しかも会った場面もとてもロマンチックな物とは程遠い。
 先日僕の友人のモナーが足を骨折した。
 理由の詳細は彼の名誉の為に語らないが、彼の恋人のレモナは並の男ではとても敵わな
い馬鹿力の持ち主とだけ言っておこう。
 そんな訳で僕は病院に向かった。
 先程しぃが行った様に僕は医者を目指している。
 モナーは忙しいそうだからとお見舞いを断ったが、僕は行く事にした。
 しょうもない理由の所為で足を包帯でぐるぐる巻きにされた友人を冷やかす為にだ。
 ……というのはあくまでもオマケだったが。

 医者を目指している理由の大抵は昔自分か家族が病気に苦しんだりして、それで今度は
自分が人々を助けたいとかそんな感動的なものが多い。
 しかし実は僕の周りの人間は僕を含め、皆異常な程丈夫だった。
 お陰で今まで葬式とやらに出た事は無い。
 そんな僕が医者を目指している理由は本当にしょうもないものだった。

 金、名誉、暇潰し。そして優越感。

 自分でも本当にしょうもない奴だと思う。
 前二つは自分の生活の為、後二つは自分の性分の為。
 収入がとても多く、名誉があり、なるべく暇を感じ無い、優越感を得る事が出来る仕
事。
 それで一番最初に頭に浮かんだのが医者だった。ただそれだけだった。
 ちゃんと意思を持っていても挫折してゆく人が多い中、こんな理由で医者を目指してい
るのにそれなりに何とかなっている。世界は本当に残酷だった。
 理由は置いておき、こんな不真面目な奴なので、僕は病院というのに滅多に行った事が
無い。
 だから偶には見てみようかなという気紛れが理由だった。

 そして其処で彼女に出会う。
 彼女は重度の病気の患者が収容される部屋に入院しているにも関わらず病院にある中庭
の様な所に居た。
 中庭で木漏れ日を浴びるまるでお日様の妖精の様な彼女からはとても想像付かないが、
きっと事実なのだろう。
 きっと彼女に残された時間はとても少ない。
 僕は興味本位で彼女に話し掛けた。
 すると彼女は臆する事無く僕が求めた全てを話してくれた。
 どうやら彼女は僕が予想していた以上に酷い状態らしい。
 普通に歩いているものの、いつ倒れてもおかしくない状態にあると聞かされると流石に
驚いた。
 僕が問うた質問の全てを答えると彼女はニヤリと不敵に笑う。
 その笑みはまだ年齢の割りに幼さが残る彼女を一気に大人の女に変え、恋愛沙汰には全
くと言って良い程興味の無い僕でさえドキッとした。
 彼女はその妖艶な笑みのまま僕に嘘吐きになる事を要求した。
 散々質問をしてしまっていたので流石に僕も断る事は出来なかった。

「しぃさんの恋人のモララーです」
 それが彼女が要求した嘘。
 勿論今まで一度も登場した事の無い恋人が突然登場して、声を掛けた看護師は怪訝そう
な顔をしていた。
 彼女は僕の腕に抱きついて、
「今まで留学していたの。それを良い事に私が勝手に心配掛けたくないからって連絡しな
かったの」
 看護師は最後まで疑り深い顔をしていたが、以外と演技派だったしぃの暫く会っていな
かった恋人に向ける笑顔に負けてしまった。
 勿論最後に恋人を作ってみるのが彼女の目的では無い。
 そんなこんなで彼女はあっという間に外出を許可された。
 外出許可は以外と簡単に出るのか、それとも彼女が末期患者だからかはそういう系統に
ついては勉強不足な僕には分からなかった。

 そして今に至る。
 何故か僕はガタンゴトンと電車に揺られていた。
 もう何時間も電車に揺られている。
 彼女と出会った時は朝の力強い光を放っていた太陽も、今は午後の柔らかいものに変
わっていた。
 もうすぐしたらきっと西の空を茜色に染め上げるのだろう。
 相当の田舎にきているらしく、外の景色の大体は山とか海とか空とかそんな物で構成さ
れていた。
 僕ら以外の乗客は見当たらない。そしてきっとこの電車は僕よりも年老いているのだろ
う、ガタンゴトンという音の中には偶に耳障りな嫌な音が混ざっていた。
 右手には取り敢えず形式だけでも、と友人の為に買った花束がまだ握られている。
 これからどうなるのか、検討も付かなかった。
 けれど何となくなる様に任せれば良い様な気がした。
「これでも私ね、昔はものすっごく運動神経良かったんだよ。運動会の選抜リレーには毎
回出てた」
 彼女は自慢げに胸を張る。
 当たり前なのかもしれないが、彼女の話には入院後の話は無かった。
 それに酷く心を揺さぶられる事は無かったが、やはり入院生活は心を削ってゆくものだ
と思わされる。
「勉強もそれなりに出来たよ。数学だけはどうしても駄目だったけどね」
 彼女は本当に楽しそうに話していた。
 そんなに興味深い話では無い。しかし僕はいつの間にか聞き入っていた。
「昔は結構モテモテだったんだよ、私。でも結局誰とも付き合ったりはしなかったんだけ
どね。だからモララー君が初めての恋人」
 そう言うと彼女は抱きついてきた。
 それに釣られて点滴も小さな安っぽい音を立てて、僕に近づく。
「ねえ。恋人同士って何をするのかな。キスとか? それ以上の事とか? 」
 彼女は病院のとき同様にニヤリと艶かしく笑った。
「私は良いよ。何でも。外に出るまでって約束だったのに此処まで付き合ってくれたお
礼。この電車、私達以外乗ってないから何しても良いよ」
 空の様な色の瞳が僕を見据える。
 それからどれぐらいの時間がたったのか。
 何時間にも思えたし、数瞬にも思えた。きっと後者が正解だろう。
 僕は彼女の胸に右手を押し付けた。
 正確には右手の花束を彼女に押し付けた。
 きょとんとしている彼女に僕はニヤリとした笑みを見せる。
「死ぬ間際の、しかも会って数時間しか経ってない女を抱く程落ちぶれちゃいないよ。…
…と言っても別に君に魅力が無いって訳じゃないよ。今まで恋の一つや二つもした事が無
い僕ですら、君には少し惹かれた」
 彼女は花束を受け取ってにっこりと笑った。
 それはまだ幼さの残る彼女に一番合った、笑顔だろうと僕は思う。
「実際に行った事無いから分からないけれど、このまま電車に乗ってたら名所に着くんだ
ろ? ――自殺の、ね」
 良く知ってるね、と彼女は楽しそうに笑った。
 彼女は僕の上から退いて、また僕に空色の瞳を向ける。
 暫く何も言わず、僕らは見つめ合っていた。

 金属の擦れる、とても嫌の音を大きく立てて、電車は止まる。
「これ以上行ったらもう帰りの電車無いかもよ? 」
 彼女はクスクス楽しそうに笑った。
 まるで昔にタイムスリップした様な気分になる駅に僕は足を踏み出す。
 彼女は胸に恐らく生きている間に最後に捧げられる、そして死んだ後に最初に捧げられ
るであろう花束を抱いて、僕に手を振った。
 ぎこちないとても滑らかとは言えない動きで電車のドアが閉まる。
 彼女は電車に運ばれて、自らの死地へと向かってゆく。
 最後に見た薄い桃色の彼女の姿は、まるで桜の花びらの様に儚いものだった。
 時刻表を見ると、暫く電車は来ない様だ。
 電車が来る頃には彼女はもう――。

 ぽた、ぽた、ぽた。
 何処か遠くで雫が落ちる音が聞こえた。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 それは止む事を知らない。
 一定の間隔でさっきから床に当たって弾けていた。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 僕は少し呻きながら布団を被る。
 別に怖い訳じゃなかった。
 ただそれに起こされる事が嫌だった。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 そいつは段々近づいてきた。
 足音は立てず、水滴の音だけを響かせながら。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 ぽた、ぽた、ぽた。
 それはやがて僕の枕元までやってきた。
 足の気配が頭のすぐ横にする。
 けれどまだ僕は怖がってはいなかった。
 ぽた。
 さっきからずっと鳴り続けていた音が止む。

「―――――」

 彼女が何かを口にした。
 それはまるで春の蝶の溜息の様に小さなもの。
 この時、僕はそいつの事を見ていなかったに関わらず、そいつが僕と同じぐらいの年だ
と知っていた。
 そして春を象徴した様な姿である事も――。
 僕はゆっくり布団から頭を出しながら彼女を覗く。
 やはり怖い訳じゃなかった。
 ただそうしないと彼女は消えてしまう様な儚い夢の様な存在である様な気がしたから
だ。
 彼女はまるで桜の様な色の体をしてい、頬には綺麗なアスタリスクが映えていた。
 目は五月の空の様に透き通り、それよりももっと透き通った雫を目に浮かべている。

「モララー君」

 彼女はにっこり綺麗に笑った。
 けれどそれからは言い表せない程の悲しみとか、そんな物が込められていて、僕は胸を
抉られた気分になる。
 彼女は僕を見つめながらゆっくりと腰を下ろし、僕の頬に優しく触れた。

「最後に会えて、本当に良かった。有難う」

 其処で僕の記憶は途絶えている。
 記憶といっても、恐らくこれは夢だったのだろう。
 それに根拠なんて無かったが、あれは現実だったと思う方が根拠が無い気がする。
 翌日からも僕は何も変わりない極平凡な生活を送った。
 朝起きた時に、目が涙で塗れていた事を除けば。